今月まともな記事出せなくて大変申し訳ございませんでした
書くことないねん これお詫びに今日撮ったきれいな雲
“空母”という粋な訳し方を掘り下げる
大病院占拠の最終回見ました?めっちゃ良くなかった?たしかにCGとかすごい安っぽいところもあったけど、シナリオとか伏線の張り方が丁寧だと全部許せちゃう派です。あと裕子先生めっちゃかわいかったね、こんにちは。
2023年も1/4が過ぎようとしています。なんともう3月も下旬。私は花粉に苦しむ毎日です。
去年末あたりはブログ書くのめっちゃハマってたんですが、気づけばしっかりと勢いは衰えてしまいました。こうなることは自分が一番分かってたというのがまた恨めしく。
このブログには数年単位で放置されていたという前科があります。なので最低限でも月1くらいで記事を出していかないと次の記事を書くのはいつになるのかマジで分からんす。
このブログのどっかで言ったかすら覚えてませんが、今年のこのブログの目標はそもそも月1投稿ということで、今月の錆取り的な、結構どうでもいい記事を書いていこうと思います。
錆取り記事といえば今月を振り替える的な記事がメジャーですが、私は順張りに呑まれるのがなんとなく嫌なのでマジでネタが枯れるまで書きません。あとは旅行の様子を特にテーマなくなんとなく記事にするのも順張りなのでなんとなく敢えて避けています。
あ、読む分にはめっちゃ楽しいので全然書いてくださいね?ただ書いてると負けた気分になるのが嫌なだけのひねくれです。スターつけたりつけなかったりしますので皆さんの記事もお待ちしております。
本題。皆さんは「空母」という単語をご存知ですか?
航空母艦(こうくうぼかん、英: aircraft carrier)は、航空機を多数搭載し、海上での航空基地の役割を果たす軍艦。略称は空母(くうぼ)。
つまりは飛行機が発着できる軍艦。船自体を戦力とするわけではなく、積載している飛行機を主として戦います。
そのような船を指す航空母艦を略して空母と言っているわけです。現代の公的機関も普通に「空母」を注釈なしで使っているあたり、いかに浸透した単語であるかが分かります。
そんな「空母」なんですが、私は初めて聞いた時よりこう思っています。
「空母」って単語すごく趣あると思わない?
だってだってさ、空母って空の母。小学生か中学生の頃だったと思うけど、ロマン溢れるこの響きにたいへん感銘を受けました。
今から80年前の太平洋においては戦術根幹の方針が異なる二つの海軍大国が国の命運を背負って戦っていました。大砲なんかを載せた船自体で戦うのが主流であるとして戦艦を重視していた日本軍、いっぽう航空機を活用した戦術を展開するべく空母を重視していたアメリカ軍、国力の差あれど4年半ちょい戦って結果はご存知の通りなわけです。空母はナチュラルに強いのも事実。
空母が戦闘機を展開し、まず得ようとするのは「制空権」です。裏を返すと空の支配を得るべく飛び立つ戦闘機の基地、つまり母なる存在であるということは、空母は実質は空の母と言っても過言ではないのかもしれません。
とはいえこの記事では空母自体のそんな兵器的な話をしたいわけではありません。ただ飛行機が発着できる船ならもっと安直な名前でもいいのに、なぜわざわざ「母」という文字を使い「航空母艦」と呼ばれるようになったのか。
シンプルに考えても特に「母」要素はないのですが、上記の通り擬人化を施すことで「母」要素を見出すことも可能です。軍がそんな潜考の上で趣を得ようとは考えにくい。戦場で余裕がないのは明らかなので、軍に求められるのは短い言葉で分かりやすく伝えることのできる「単純明快さ」なのではないでしょうか。
にもかかわらずどこの誰だか知らないが、飛行機を艦載する船に「母」という単語を用いて「航空母艦」と名付けたセンスの良い奴がいたのかもしれないというわけです。普段は明らかに伝わりやすさを重んじて考えそうなのに、センスの良さが光っているのにもまたロマンを感じています。そこを考えていきたいと思います。
そもそもなところ空母を直訳してみるとAir ctaft mother Carrierとかになるんですが、英語では“Air craft Carrier”って言うらしいです。直訳すると航空機運搬艦。「母」要素どこ?
ちなみに空母っぽい雰囲気の単語として英語に“mother ship”という単語が補給船的な意味でしっかり存在します。しかしこの“mother ship”を軍用艦に使うことは皆無らしいので、空母云々とは無関係な話っぽそう。
つまり「空母」とは日本における造語の可能性が高い。さすがは豊葦原の千五百秋の瑞穂の国、日本です。
目に映った情景や複雑な恋心さえも高度な語彙力や豊かな感受性を最大限用いた上で、韻を踏んだり対句を成り立たせたりと言葉遊びの要素まで、形の決まった短い文にしっかりと落とし込む事が出来る。そんな渾身の歌がこの国では古来より詠まれてきたのです。
少なくとも私には無理ですし、かつての全国民がそう出来たわけではないでしょうが、この国の歴史はそんなハイレベルな感性を持つ我々の先祖が紡いできたのは事実です。
戦前となると皇軍の軍人は「辞世の句」を詠んでから腹を切ることも少なくなかった。「母艦」という訳は戦前からあったのですから、少なくとも当時の時好として、現代よりも色濃くそのような文化が残っていたのは明らかでしょう。
話が逸れすぎたかもしれません。要は「航空機搭載艦」と訳すべきところで擬人化を通して「航空母艦」と名付けた、歌仙のようなセンスをした日本人がいたのではないかということです。
ということで、日本における「空母」という単語が使われてきた歴史に目を向けてみます。
調べてみると、海軍制度沿革 巻八という、つまりは帝国海軍の制度の沿革をまとめた書物内に「海軍大臣ニ於イテ軍艦及水雷艇ノ類別及等級ヲ定メ若ハ其ノ變更ヲ行フコトヲ得セシメラルルノ件」という1898年3月21日に定められたとされている項目に「水雷母艦」という記述がありました。「海軍軍艦とか水雷艇の基準を定めます」みたいな感じだと思う。「母艦」という表現はおそらくこの時に日本で初めて使われたっぽそう。
なお、水雷母艦は英米だと“Torpedo boat tender”と表記するらしい。
“tender”とは英米海軍においては「飛行機などを搭載せず、海上での補給や乗務員の休養を図る基地機能を持たせたもの」と定義されています。
?
航空機を積んでいるから航空母艦、なら水雷母艦は水雷を積んでいるべきでは?
そう、水雷母艦とは艦隊内の立ち位置が空母とは全く異なるのです。水雷母艦というのは駆逐艦や水雷艇を中心とした戦隊内においてあくまで補助的な役割に過ぎません。
うーん、水雷母艦における「母的要素」は航空母艦における「母的要素」とは別なのか。水雷母艦を深く掘り下げつつ考えてみようと思います。
なお「水雷母艦」という単語は、「水雷を搭載した艦」を指すこともあり、これは航空母艦と同様の用法です。しかし、件の標準が制定された年に進水した「水雷母艦 豊橋」については「戦隊の母艦」と記述があります。つまり「母艦」という単語が初めて出てきた際も空母のように「水雷を積んだ艦」ではなく、補給艦に用いられていたのです。
釈然としませんが、他にもこの水雷母艦的な、補給艦的母艦として「駆逐艦母艦」「潜水母艦」というものがあります。補給艦的母艦ということでどちらも補給が主であり、潜水母艦に関しては潜水艦のように潜ることは不可能。
?
補給?
ちなみに空母っぽい雰囲気の単語として英語にmother shipという単語は補給船的な意味でしっかり存在します。しかしこの“mother ship”を軍用艦に使うことは皆無らしいので、空母云々とは無関係な話です。
引用: このページのうえのほう
“mother ship”、直訳すると「母船」。英米では「民間の補給船」的な意味で用いられている単語ですが、軍艦に用いられることは皆無。
しかしここでこういう仮説が立てられます。民間の補給船に充てる“mother ship”を軍の補給艦にも同じように充てたのではないか?
上の方でも述べた通り、軍の補給艦にあたる英単語は“tender”であり、しっかりと別単語として存在するわけです。
しかし「母艦」というワードが初めて出てきたのは今から120年以上前の19世紀末。日本という国はやっと日清戦争に勝利したくらいの、鎖から解かれてまだ半世紀も経っていなかった頃でした。英語への解像度が低くてもおかしくはないし、そうでなくとも第一に日本語ではひとつの単語で形容出来るが英語では区別する単語なんてめっちゃあるわけです。*1
「母艦」も“mother ship”と“tender”という2つの意味を包含した日本語として成り立っているのではないか、という仮説。
現象には必ず理由がある。仮説は検証してはじめて結論を得られます。かの湯川先生のお言葉をお借りし、私なりに調べました。
し か し
残念ながら「母艦」という訳の充てられた経緯は国会図書館の史料を漁っても見当たりませんでした。なのでこの仮説も仮設の域を出ることは出来ません。でもこういうことな気がするなあ。
読んでいる皆さんは分かりませんが、私にはこの仮説がだいぶ現実味を帯びているように感じられるので、結構すっきりしています。モヤモヤしてるオタクはDMにレスバ仕掛けに来い。
そもそも「母艦」という訳がどのように生じたのかについては仮説が立ち、結局仮説のままでしたが書いている私が私なりに納得したのでこのブログ的な解決ということにします。
でもこの「母艦」の由来に関する仮説って上記の通り、あくまで補給艦を指す母艦の話なんです。そもそものギモンはそういえば航空母艦でした。
「母艦」と区分された船の中で「対象を搭載して作戦海域まで輸送し、作戦行動の後に収容して整備・補給を行う」という働きをする航空母艦の方がイレギュラーであるのは確か。何度も言っている通り「母艦」の初出は補給艦だったので、空母と補給艦の共通項を考えるべきかもしれません。
艦隊の中枢を成す航空母艦、他の艦に付随しあくまでもサポート的な役割を果たす補給艦...
堂々と艦隊のど真ん中に鎮座する航空母艦と、あくまで他の船にくっついてお世話をするだけの補給艦ということで、対照が際立ちすぎてもはや対称になってますね。これは違う。
対象を収容して整備や補給を行いつつ航行する航空母艦、海上での補給や乗務員の休養を図る基地機能を持つ補給...
むむ???
史料があまりにもないため今回も共通点から推察する形になるのですが「何かを収容する働きを主とする艦」に対して「母艦」という名称を与えたという仮説が立ちました。史料ないから憶測なんだけど!!!!!
まとめです。
-「航空母艦」は英米では「航空機搭載艦」と呼ばれており、日本による造語である。
- 「母艦」という表現の初出は補給艦に充てたものであり、これは英米で民間の補給船を指す“mother ship”に引っ張られたのではないか。(仮説)
- 一見すると補給艦とは全く性格の違う艦である航空母艦だが、双方とも「対象を収用し補給を行う」という働きを併せ持っていることから「母艦」という訳が充てられたのではないか。(仮説)
結局この仮説が事実だとすると、「航空機搭載艦をめっちゃセンスの良い奴が母親のようだと形容した上で『航空母艦』を名付けた」というかつての私のロマンは打ち砕かれることになってしまいます。仮説が仮説で在ってくれるおかげで、可能性は大幅に下がりつつも私のロマンはロマンとして在り続けることが出来るのです。レポートとしては宜しくないけれども、自己満足的なブログ記事としては一番良い終わり方したのでは?
以上、ささいな興味を真面目に考えた駄文でした。私は高校時代に世界史を取っていたものの全然ガチ有識者ってわけではないので、この記事もあくまで素人の自由研究を眺めるノリで味わって頂ければと思います。
ここまで大体5,000文字弱ありましたが、写真もロクになしにただ主観や仮説に溢れたこの記事をしっかり読んでくれたあなたはとてもとても偉いです。
冬が明けるのも間近、まもなく新年度です。季節の変わり目ということで体調にはくれぐれもお気を付けください。花粉症の皆さんもぜひ頑張りましょう。では。
3/24追記:国立国会図書館デジタルコレクションよりコンテンツの転載ページの記載内容に則って、「海軍制度沿革 巻八」内の該当ページの画像を貼りました。
3/24追記2:読んでくれたオタクに「読みやすかったし説得力があった」と褒めてもらいました。にやにやです。
それと同時に彼は「航空母艦」という違う意味の熟語2つを組み合わせたのになぜ頭2字を取った略にならなかったのだろう、という違ったアプローチの掘り下げ方をしていました。非常に興味深い内容なので自分なりの考えを記事に追記しようかと思いましたが、「そもそもなぜ『母』という字を使ったのだろう」というこの記事の軸からは少し離れた話になりそうなので、機会を見つけて後日このオタクとこのネタを肴に酒でも飲んでみようかと思います。
とにかく、派生した新たな疑問が生まれるくらいこの記事をしっかりと味わってくれたオタクがいたことに感激してます。
私自身様々な考えに触れてみたいので、なんかしら自分なりの意見があれば上のオタク同様にツイートで共有しつつ、思うところをつぶやいてもらえると話が広がると思いますので是非。
*1:例:帽子(cap,hat)、豆(bean,pea)、肉(meet,flesh)など
一口目はハンドソープの味がした。
えっもう2月下旬?時の流れってやつはいつもいつもそんなに急ぐ理由でもあるんすかね。こんにちは。
私事ではありますが、今月5日に20歳になりました。成人祝いのあまりの額の多さにビビ散らかし、“大人になる”という事実の重さを感じております。
生誕20周年記念にお国はお酒やたばこを解禁してくれました。ありがたいですね。
たばこは吸うつもりもないんですが、お酒に関しては話は別です。以前からいろいろと期待を寄せていたのです。今日は20歳になってまだ半月しか経ってない現時点でのお酒の感想的なのを備忘録的に記そうと思います。
周囲の人間に話を聞いていると特にビールに著しく見られがちなようですが、お酒というものは飲めるようになりたての頃とある程度経った後で味覚が結構変わったりすることもある模様。もし自分もそうなった際にはかつての味覚をこうして振り返れるように、という意味での備忘録でもあります。
マジで飲めるようになりたてで、大体のお酒をあんま美味しいとは思ってない状態なので「いやいや美味いだろ」「お前の味覚が腐ってる」など物申したくなっても、そのようにお酒の美味しさが分かるくらいの大人の皆さんには「あくまで個人的な感想であり、所詮は酒に慣れてない人間の言っていること」として割り切って読んで頂けると幸いに存じます。
1.ビール
- 苦すぎ!!!!!!!!!
- ハンドソープ飲んでるみたいな味がした
- これ飲むならもうハンドソープ飲むわ
一番飲んでみたかったやつにして初めて飲んだお酒。ド定番であるビールからです。
クソガキだった大体15年前くらいの私は、父親の飲むビールから漂っていた芳醇な香りに興味を示し、どうしてもビールの味が気になり、父親のビールをわざとこぼし、一口舐めたことがありました。苦くて苦くてそれはもう薬のようで堪らなかったのを今でもはっきり覚えています。おまけにバレてめっちゃ怒られました。妙な気は起こさぬべし。
味覚がガキだったのもあれど、そもそもあの頃父親が飲んでたビールが大して美味しくなかったんじゃね?ということで、大人になった今の俺が高級ビールを飲めば美味しいやろ、と初めて口にしたお酒がエビスビールでしたが、上に書いた通りとにかく苦くて全然ダメでした。俺だってハンドソープ飲んだことはないけど「ハンドソープの味」って言われればどれほど苦く感じたかなんとなく分かるでしょ?
「味の濃いものと一緒に飲むと美味い」と聞き母親に懇願ししょっぱめの唐揚げを作ってもらい、アサヒ・ザ・リッチで再度挑戦するもダメ。
しかしまあまだ諦めていません。サッポロクラシックやハイネケンあたりはビールの苦手な人間でも飲みやすいと聞きました。機会を狙って飲んでみようと思っております。
だってビールを飲む人間ってみんなマジで美味しそうに飲むじゃん。飲めるようになりたい酒ランキング第一位です。
2.チューハイ
- まあまあおいしい
- もう普通にこれジュースじゃね?
- でもそんなら普通にジュース飲むわ
エビスビールに悶絶し、すかさず開けたのが写真左のほろよい。このほろよいはカルピスソーダの味がしました。他にもぶどう系や梅系のものも飲みましたが、どれもちょっとビターなジュースって感じ。
全然美味しいけれど「酔った気持ち良さ」を知らない今は「お酒高いしもうそれなら普通にジュース飲むかなあ」ってなってます。あとそのGRATZってお菓子めっちゃ美味しいわ。
3.日本酒
- 😖←こんな顔から戻らなくなった
- シャボン玉液の味がします
- よくある質問「シャボン玉液とハンドソープってどう味違うの?」知らん
シャボン玉液も飲んだことないですが、なんとなく苦そうなのは想像に難くないかと思います。
熱燗を一口だけもらいましたが、マジで苦すぎてダメ。熱燗を美味しく飲めるタイプの大人になりたいなあって小並感。なんかもうほんとそれくらいしか印象がなく、書くことなくなりました。
番外編.ストロングゼロ
- まずすぎてたまたまあったファンタと割って飲みました
- 頭が痛くなります
- マジで二度と飲まん
チューハイのところで一緒に語っても良かったんですが、ストゼロに関しては例外すぎたので別で書きます。
兼ねてから何かとやばいやばいと聞いていたストロングゼロ。その「やばさ」がプラスの意味かマイナスの意味かすら知らなかったけどやばいわなんなんこれ
まずぜんぜん美味しくない。飲んだストゼロはオレンジ味で、オレンジの渋い部分だけを飲んでる感じがしました。
そして悪酔いがひどい。秒で頭がだるくなってきたその日はいつもより数時間早く、22時くらいに寝ました。
寝落ちする直前までDiscordにいましたが、意味不明なメッセージばかり。サンリオピューロランドの「ピューロ」の意味が分からないとキレ散らかしてたり、ファンタの味をあさり以外に知らないと言っていたり、とにかく終わりです。
そもそも自分の酒の強さについてですが、ちょうど昨日行った飲み会では大ジョッキのグレープフルーツサワーを色々あって処理することになり、焼き鳥を食べつつ割とハイペースで飲み干すことに。しかし意味わからんことを言う、吐き気、二日酔いなどは全くなかったのでまあ酒に弱くはないんじゃないかな、と正直思ってます。
父親の家系が酒にめちゃくちゃ強く、浴びるように飲んでも笑うことが多少多くなるくらいで全然いつも通りな人たちばっかなのでその遺伝なのかなあ〜わからん
でも大学やTLでは酒に呑まれ暴れ散らかし醜態を晒すやつも散見されるし、これからも男として生きていくなら酒には強くてなんぼって感じだし、父親のように酒には強い方が嬉しいですね。
ただし限界まで飲んだことはないので、限度に関してはそのうちしっかりと把握しておきたいところです。
ただの感想文になっちゃいましたが、お付き合い頂きありがとうございました。何か初心者でもいけそうなお酒があれば教えてください。マジでチューハイしかロクに飲めません今。あとしばらくは暇なのでオタク各位は飲みも気軽に誘ってください。
それとそのうちでいいのでビールの美味しさが分かるようになれますように。では。
あなたの見ている空色は、私のパレットの何色なのだろうか。
元々は新年1発目に出すつもりだった記事なので、挨拶をあけおめのまま投稿してしまい急いで消しました。こんにちは。
さて突然ですが、私の家では猫を飼っています。
名前や「ごはん」「おそと」「おかか*1」「ちゅ~る*2」など簡単な言葉は覚えており、これらの言葉を呼びかけると駆け寄って来て足などに体を擦りつけておねだりをします。
元々は触られるのをとても嫌がる種類の猫らしいのですが、子猫の頃から育てているからか、抱っこを全く嫌がらないどころか撫でられるととても気持ちよさそうにします。ここまで人懐っこいのは珍しいらしく、いつもお世話になっている獣医さんが羨ましがるレベルらしい。
帰宅するとどこからともなく玄関に走って来て、体を擦りつけたりお腹を見せたり、構ってほしそうにします。
うちを管轄する宅急便のドライバーにとても猫好きな方がおり、配達する荷物の中にうち宛てのものを見つけるとうちの猫に会えるチャンスだとやる気になるそう。ただ猫というのは気まぐれで、宅急便を受け取る際に玄関まで顔を出す時もあればリビングでダラダラしているままの時もあります。
かわいいし賢いしうちの猫が誇りで仕方ありません。ひたすら猫のかわいさを書いてもいいんですが、ある日私は思いました。
そもそも我々が名前として発している音を、猫は自分自身に付けられている名前だと認識しているのか。
私の家族は大概名前を読んでから「ごはん」だの「おそと」だの言います。あくまで例えばの話ですが、何かメッセージがある際の前置き程度の認識しかないのかもしれません。
しかし名前というのは猫に限らず人間相手であっても、用件がある際にまず言うもの。役割から考えると何の違和感もありません。
つまり、そもそも猫に名前という概念が理解できているのかどうか。これが人間同様に理解出来ているのか、そもそも自己の認識をしていないのか。
自己の認識をしていない、とはどういうことか。例えば鏡で自分の姿を見た際に、鏡に映り目が合っているその相手を、果たして自分だと認識出来るのかどうか。
調べました。普通に認識出来ていないらしい。
つまり猫からするともしかすれば、自分も普段触れ合っている人間同様の姿をしていると思い込んでいるのかもしれません。そもそも猫がそこまで考えているとも思えませんが、可能性のひとつとしての記述です。
自己を認識出来ていないということは名前という概念を理解しているはずもなく、普段我々が名前として扱っているその音も、自分を指しているのではなくあくまで自分を呼ぶためのものだと認識しているということでしょう。
ヒトにしろ名前の役割がそもそもそうなので本質は変わりませんが、ヒトとネコの間には多少の認識のずれが生じていることは確かだと言えます。
そう知見を得たところで私は幼少時代にずっと考えていたことを思い出しました。
自分の見ているこの色は、他人にも同じように見えているのだろうか。
例えば上のこのテキストは私には暗めの赤に見えます。おそらく皆さんもそうでしょう。しかし皆さんに見えているその「暗めの赤」は、実は私からすると全く別の色なのかもしれません。幼稚園に通っていたころずっと考えていました。
こんなことを考えているのは自分くらいなんじゃないかと思い込んでいましたが、「逆転クオリア」として扱われているものらしい。
およそすみれの組織をもつ事物はすべてその一人の人間の青と呼ぶ観念を恒常的に産むし、せんじゅぎくの組織をもつ事物はすべてその一人の人間の黄と呼ぶ観念を恒常的に産むから、それら〔すみれとせんじゅぎく〕の現象態がその人の心でどうであっても〔たとえ他の人たちと違っても、〕その人はそれらの現象態によって〔すみれとせんじゅぎくという〕事物を自分に役だつように規則正しく区別でき、青と黄という名前で表示される区別を理解できたり意味表示できたりするのであって、その点は、その人の心にあるそれら二つの花から受けた現象態ないし観念が他の人たちの心の観念と性格に同じだとしたときと、変わりなかったろう。
— ジョン・ロック 『人間知性論』(1690年)
色覚だけではなく聴覚や味覚などの感覚全てに適用の出来る考え方です。
しかし少し考えれば分かる通り、この事象が実際に起きていたところで異なる色を見ていたとしても同じ言葉でその色を表現してしまい、証明しようがないのです。
例え脳で認識しているものを画像化出来る技術が開発されたとしても、モニターなどに映されるその色は、実際に脳内を画像化されている人間が見ている色をそのまま映すわけで、自分が見てしまった時点で別の色になってしまいます。
そもそもこれが真だとしても、色盲などの場合を除いて現状では色の知覚のずれで生じる問題がないので、必死になって明らかにする必要もありません。先ほど引用した「人間知性論」にもこのような記述があります。
仮にもし〔同じ対象の観念が違う人で違うという〕反対の想定を証明できたとしても、私たちの真知の進歩にも人生の便益にもほとんど役立たず、したがって、これを検討する労を取るには及ばないのである。
— ジョン・ロック 『人間知性論』(1690年)
フランスの哲学者であるパスカルは人間を「考える葦である」と言いました。
「人間は自然の中では葦のように弱い存在である。 しかし、人間は頭を使って考えることができる。 考える事こそ人間に与えられた偉大な力である。」と述べています。
この形容からも人間というのは「考える」動物であり、それは我々に与えられた、最大級の幸福ではないかと考えています。
「考える」というとつい勉強などを連想しがちで、好きな人と一緒にデートをする、大好物を好きなだけ食べる、二度寝する...そのような幸福とは結びつかない方もいらっしゃるとは思いますが、その通りでこれらの幸福との決定的な差があります。
我々は「考える」という行為が当たり前ゆえ、そのありがたみを享受出来ていないのではないか、ということです。また「考える」という行為は勉強に限らないものであります。
今日の記事は結局ここまで書いて「証明しようないし、証明しても意味ないよ」という結論が出ました。それどころか300年以上前の哲学者がここまでの結論を出しており、ご存知の方も多かったかと思います。
しかし、この記事の本質は結果ではなくこの考える過程にあります。
駅放送を刻みなさいというお話
0時に予約投稿してるのにこの挨拶ってどうなんでしょうね。こんにちは。
私は大変な途中下車シリーズを作る所謂“下車作者”と呼ばれる人間ですが、それと同時に途中下車が大好きで頻繁に見ている“視聴者”の立場でもあります。
今日は作者としてではなく視聴者としてブログを書きます。
ひとくちに途中下車といっても色々あり、駅に焦点を置いたもの、実際に走っているように列車のように駅を順に刻んでいくものが特にメジャーだと思います。後者のような下車を聞いていると時々思うことがあります。
単調じゃね?
曲の始まりから終わりまで2分くらいに渡ってひたすら車内放送を刻んだ音声。たま〜に巡り合いますが、単調に聞こえてしまいます。
せっかく刻み上手いのに〜せっかく心地良いのに〜
惜しいなあ。
いつもそう思っております。
それではどうして欲しいかと言うと、タイトルの通り「駅放送を刻んでほしい」のです。
こちらは誰もが認める素材ヤクザであるおあととさんの素晴らしい動画。東京、品川、沼津(静岡も?)で収録したと思われる接近放送が用いられています。
ムーンライトながらというのは夜行列車であるため、深夜帯の放送がないのにどうですか!駅放送がボリュームを補ってくれてるように思えませんか?車内放送だけ刻まれてたのとは満足感が違うと思うんですよ。
こういうことなんです、言いたいのは。
しかしこの世の万事は表裏一体。メリットというのはデメリットの裏面です。駅放送を入れるにもデメリットというものがあります。
それはなんといっても「取材が面倒」なこと。
よく分かります。だとしても刻んでアップロードすればきっと「わざわざ行ってきて良かった」と思えると信じております。そういう感性を持った下車作者が増えてほしい。
「わかりました!これからは駅放送も積極的に収録しようと思います!」
俺「うんうん(満面のオタクスマイル)」
…まもなく 1番s(ブチッ
お待たせいたしました 1番線には〜
「駅員クンさあ…(PCに取り込んだ際にもちろん消す)」
皆さんこういう経験ありませんか?駅員に被られちゃったことありますよね?
しかし私は思います。駅員放送というのも音声な味わいを引き立てるスパイスであると。
近鉄の大和西大寺のように駅員がめちゃくちゃ喋る駅ありますよね?はっきり言って自動放送の方が欲しいし鬱陶しい。その気持ちよく分かります。
でも「駅員がよく喋る」というのは「その駅らしさ」なのです。
例えば上野の「ベルが鳴り終わりますとドアが閉まります」や御茶ノ水の「オレンジ色の/黄色い電車」、日根野の「と〜びらが閉まりま〜しゅ!」の駅員さんの放送など、駅にとってのアイデンティティにもなり得るのです。
今は消えてしまった動画ながら「へっぽこ京王最強伝説」という私の好きな動画があります。私はこの動画の中に出てくる、甲高い声をした調布の駅員放送がとてもクセになり何度も見返していました。
ついノリたくなるような勢いの良い曲調にテンポの良い自動放送のセリフ合わせ、そこに割って入ってくるのは自動放送のインパクトに負けず劣らずの通る声での「調布、調布、調調調布です 1番線は 急行橋本 次は 京王稲田堤止まります 競輪場*1には停車 しません」という駅員放送。
あの動画を見たことのある方なら、この魅力を分かって頂けるんじゃないかと思います。
ちなみに何年も経ってから知ったのですが、この方は「ヘリウム車掌」と呼ばれているらしいので、今は車掌になったんですかね。明大前の駅員をやっていた時期もあったようで、一度くらいお目にかかりたかった。
駅員放送含め、駅放送というのは音声をより充実させてくれるものだと述べてきました。
実際駅の自動放送を上手く使っている音声というのはまあまあ見ますが、その割に駅員放送を活用している作品というのは音声はあまり見ません。
上でもいくつか例に上げさせてもらいましたが、ここからは駅員放送を上手く使えている、私がとても好きな作品を語ってこうと思います。
とある科学の立川
soundcloud.com立川といえばめちゃくちゃ駅員が喋る駅。私も収録には苦労しました。
駅員というのはやはりプロの声優ではないので、自動放送に比べるとどうしてもハリがなかったり通りにくい声だったりすることが大多数です。つまり駅員放送でだんだんと盛り上げていき、一番盛り上がるところには自動放送で一気にドーンとやりたくなっちゃいます。少なくとも私は。
しかしこちらの音声ではサビ部分に駅員放送を持ってきています。ここを特に評価したい。なんてハイセンスなんだ。
先日投稿された「年末交通合作2022」においてもしっかりと駅員放送を使っていますし、さすがちゅうとくさんです。
なかなか勇気のいる構成だと思いますが、効果音なども上手に使ってしっかりと盛り上がりを損ねていない。プロすぎますね。
-枯るゝ赤城の 風はいづこへ-
soundcloud.com疾走感溢れる気持ちいい刻みのファンの方も数多いであろう、ハエニッパさんの音声です。
ハエニッパさんは駅員放送や車掌放送の扱いに特に長けている方だと見受けていたのですが、こちらの音声は真骨頂を発揮しているものだと思います。
この音声の題材となっている185系は国鉄時代に製造された車両で、引退するまで一切自動放送が積まれなかったのはご存知の方も少なくないかと思います。肉声放送が多くなるのは必然であり、実際4分にも渡り自動放送は全く出てきません。しかし聞いていて飽きることは全くありません。
私は特に1:25あたりの「今度13番線の列車は〜新特急列車なすの7号 黒磯行きです お下がりくださ〜い まもなく列車 到着で〜す」という刻みがめちゃくちゃ好きで本当に好きでたまりません。
盛り上がりのピークはこの後の車内放送が刻まれているパートだと思うので、あくまで前座の盛り上げ役でしかないのですが、それでもここまで癖になってしまうのは一体…ハエニッパさんの音声は他にも肉声放送をめちゃくちゃ上手に使っているものがたくさんあるので、ぜひ聞きまくって耳を溶かしましょう。
"Nessem Dorma" SOTETSU Remix
soundcloud.comオペラかなんかの曲なんすかね?メロディになんとなく聞き覚えはあるものの何の曲なのか分からないです。
まずは湘南台から横浜まで各駅停車の車掌放送を刻み、横浜からは特急の自動放送を刻んでいるのですが、とにかく使い方が上手い。
前半部分は各駅停車の車掌放送が主体なのですが、その間に二俣川と星川の駅自動放送を用いてくれているおかげで聴いていて飽きません。
そして1:14あたりからは曲としても盛り上がる局面なのですが、しっかり自動放送を使って音声全体として盛り上げています。駅員放送について語ってるはずなんですが、こういうセンスの良さも見逃せません。
そしてそして1:28あたり、ここが素晴らしいんです。大和の駅員放送を刻んでいるここ。車掌放送が主体だった流れの中で自動放送を刻んでいた先ほどとは対照的ながら、飽きを感じさせないでくれるという根幹は変わらないものです。好みグサグサ刺さりすぎて蜂の巣になりました。
そもそも音作りや効果音の扱いがめちゃくちゃ上手。教科書に載せてほしい音声です。
ときなつ【上越新幹線 × ルミナスデイズ】
youtu.be音上手い、動画上手い、絵上手い、文章上手い…うちの界隈のチート的存在であるくろしおりさんの動画です。
エモさで満ちているこの動画なんですが、本庄早稲田とか熊谷とかいちいち駅員放送使われてるんですよ。めっちゃ良い感じに仕上がってます。
しおりさんとは通話などで何度か下車について一緒に話したことがあるのですが、感受性が豊かで発想がとても柔軟ゆえになかなか思いつかないようなポイントを掘りさげていき、しかもそれがきちんと建設的な話として成立するんですよね。
こんなところ着目するの!?⇒...なるほどなるほど⇒こんなに話せるとは思わなかったし、めっちゃ有意義な話だったなあ。みたいな感じ。
そしてこの動画に限らずなんですが、しおりさんは様々な音を用いて臨場感を出すのがあまりにも上手いです。視聴している人間の感覚を支配するプロで、ASMRのような感じ*2。駅員放送というのは、このような使い方も出来るわけです。
そもそもながら本庄早稲田や熊谷の放送をまず録ってるというのが素晴らしいですよね。わざわざ行くのが割と億劫な感じもしますし、行ったところでこの放送を録ってくれる、というのがです。
歴を重ねていてもなお途中下車に真剣な姿勢が感じられます。憧れの作者が今も第一線で輝き続けている姿を目の当たりに出来るというのは、とても幸せなことです。
「Chiyodagest」
soundcloud.com今は亡き、途中下車で聞きに聞きまくりまさに「親の声より聞いた」と言っても過言ではない千代田線の旧放送をふんだんに使った素晴らしい音声です。
ただでさえ駅放送をたくさん使ってくれて私はとても満足度ゲージが高いのですが、特に声を大きくして好きだと言いたいのが0:55あたり。
プープププププ(営団ブザー)
発車いたします
はいドア閉まりま〜す←これこれこれこれ!ここの駅員放送がめちゃくちゃ良い!
東京メトロの駅員って自動放送任せで全然喋らないことが多く、ドアを閉める際に一言だけ喋るみたいな人がすごい多いんですよ。実際駅員放送が刻まれているのもここだけ。一撃でしっかりとコアを射抜いており、本当にハイセンス。
しかも勢いを全く損ねていない。自動放送と駅員放送を比較したときに、インパクトで劣るのはやはり駅員放送だという話はしましたが、しーーーーっかりとサビへのステップとしての役割を果たせています。堪らない。
nico.ms京成高砂は京成本線と北総線/成田スカイアクセス線が分かれる駅であり、特に成田空港への利用客からすると注意が必要な駅です。
それゆえに高砂には立ち番がおり、立ち番が常に喋っているのが高砂のアイデンティティまであります。
いやね、本当にこの作品は“高砂み”を出すのがめちゃくちゃ上手いんです。高砂に行ったことのある方なら分かってくれると思います。
駅員の声も良いですよね。通りやすい高めの声がたまりません。高砂の駅員放送は私も京成合作で使いましたが、この動画が好きすぎる故にこれくらいハリのある駅員放送を欲してしまい、何度も何度も通ってしまいました。
そしてサビでアクセス特急を持ってくるセンスも素晴らしい。ここが各駅停車なら物足りなさを感じていたことでしょう。
一旦落ち着いたパートに金町線を持ってきて、再度盛り上がる際には京成本線の特急と成田スカイアクセス線のアクセス特急の放送が刻まれているのも、曲と京成線をしっかり理解した上であろう、最適な組み合わせです。
そんな高砂も去年の8月いっぱいで上りホームの立ち番はラッシュを除いていなくなってしまいました。時代です。
このリンクは再UPですが、元動画は2008年10月19日投稿というなんと足かけ15年も前の動画です。だいぶ前の動画ですが、実は好きな動画なので紹介させてください。
素材はJR京都線の桂川(かつらがわ)駅。途中下車を見ている方々にとっては福北ゆたか線の通る桂川(けいせん)駅の方が聞き覚えがあるかもしれません。
そしてこの桂川駅というのは新快速はおろか快速すら止まらない1面2線の駅。「ステーション・オブ・ナイツ」といえば大阪や北千住など、大きい駅で制作されるイメージの方が強いかもしれません。
ナイト・オブ・ナイツにおいて、普通電車しか止まらないような駅を素材にする、今では少し珍しい気もしますが、当時は駅に限らず列車などでも気軽にナイツが作られていたこともあり、そんな固定観念も薄かったのかな?私は2013年から下車に触れている身なのでそこまで分かりません。
そのような背景的な話はさておき、この桂川駅というのもホームがカーブしており駅員がわざわざ出てくることが多い駅です。しかも自動放送を消しまくってめっちゃよく喋る。
そんな桂川の駅員放送をしっかりとモノにしてる感じがするんですよね。駅員放送を手懐けてる。結果普通電車しか止まらないような駅を扱っているにも関わらず、退屈することなく見ることが出来ます。自動放送だけ刻んでいた
長々と語ってきました。刻みというのは素材の選りすぐりを含め構成も作者のアイデンティティであり、特にこれを強要するつもりではないのですが、魅力に気づいてくれるオタクが1人でも増えれば良いなあ的な記事でした。
クリスマスや年末年始も瞬く間に終わり、早いもので1月もまもなく中旬。一層冷え込みますね。しかし私はこの記事を去年の12/23に書いて予約投稿しているので、猛暑日が続いてたらすみません。
では。
明日は明年の風が吹く
早いもので今年も今日限りです。こんにちは。
さて、今日の記事は今年の下車でも振り返ろうと思っていたのですが、そもそも今年は忙しすぎてロクに下車を追えていません。それならばとここは定石を外して2017年あたりの下車を語ろうかとも思ったのですが、あまりピンと来なかったのでそれもやめました。
マジで語ることがなくなった。そもそも今年なにした...?
2月 大学に受かりました
やったね 偏差値よりも学びたい学問を優先した結果、受かった中で一番賢いところよりも一つ下の大学郡のところに入ることにしました。お受験下手なんです。これを快諾してくれた両親には感謝。
3月 47都道府県制覇しました
私はなんだかんだで鳥取と島根以外の都道府県は全て行ったことがあったので、この2県も早急に片付けたいと思っていたところに快速アクアライナー廃止のリリースが。
中国地方合作では青急さんより素材をお借りした列車にして、前々から収録したいと思っていた列車です。とてもちょうどいい機会です。行ってきました。
海沿いを走る出雲市~浜田間にしっかり惚れてしまいました。降り潰しますそのうち。
中国地方のあたりをうろついた後に、新幹線開業で大きく変わる長崎本線の方も降り潰してきました。
ちょうど改正に被った旅行だったのですが、なんとかもめの車内放送を録ろうと思っていた当日の朝に聞き慣れた車内放送が更新*1されてしまい、合成放送になってしまう大事件発生。その旨のツイートを観測した長崎線の車内で衝撃が走りました。
実際に何本かかもめに乗ってみるとマジで合成になってる。こんなことある?
なにもかも嫌になり、もっと長崎の辺りにいるつもりだったのを昼ご飯だけ食べて予定よりも早いかもめで適当に切り上げることにします。
しかし、神は俺のことを見捨ててはいなかった。車内に入ると、なんと聞き慣れたいつもの声の自動放送が。
後に車掌さんに話を聞いてみると「合成放送を流すタブレットは不調が多く、私の独断で今日に限っては様子を見るために車載放送を使っている」とのこと。乗らないつもりだったかもめに乗ってこれなので、本当に奇跡だったと思います。やったああああああああああああああああああああああああああ
そんなミラクルもありまして感慨深いおでかけになりました。20歳になる前に47都道府県制覇出来たことに関しても、かもめの旧放送とはまた別のベクトルで嬉しいです。
月末にはスペーシアの個室でオタクたちと騒いだりしました。スマホぶっ壊れて写真どっか行っちゃったのが惜しい。
4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月
何かオタク的なことしたっけ。大学生になりリアルにリソースを割くようになり、そっちではディズニー行ったり諏訪に花火を見に旅行したりしたんですが、そういう印象に残ることをリアルばっかでしちゃったのでオタク的行為の記憶が全然ない。マジで何したっけ
11月
もう散々書いたね。
そして気づけばあっという間に12月。マヤノのチェキ片手に赤城を徘徊したくらいしかオタク行為してないっすね。
あと今年の変化といえば、絡むオタクのジャンルが一気に広がりました。
今までは途中下車作者とほんのちょいの音鉄としか絡んでいなかったのですが、行き先鉄や撮り鉄、駅名記憶作者、おでかけヤクザなど、めっちゃ色んな人と通話したり遊んだりするようになりました。
このブログのデザインをいじるにあたってCSSとか教えてくれたのも新たに絡むようになった強い人たちですし、本当にありがたいことです。
界隈対抗でポーカーするのとか最高に楽しいんですよね。全然違う次元でネットをしてた人間同士が一つの卓に集い、心理戦をし合うというのは...なんというかすごいエモいです。
最近は人狼ジャッジメントばっかしています。マジで時間超溶けて困るけど、ポーカーと同じエモみを感じています。
馴染みのない世界の住民たちと絡むようになり、案外下車が知られていたこと、公開垢で投げていた怪文書もめっちゃ知られていたことなど、意外な事実をたくさん知るとともに、自分はあくまで井の中の蛙であることを痛感しました。
ウ~~~ン そろそろ本当に書くことがなくなってしまった。
そもそもですね、24日の記事に色々書きすぎちゃったんですよね。でもデザイン変えた後の初めてのブログ更新だったからデザインには触れておきたかったし...12月24日はマヤノが有馬を制してるし...俺も京成合作でそれを扱っちゃったくらいだし...その結果がこの前の1/3の文量となってしまった今回の記事です。
でも、実際ブログって毎週6000字も書いてたら爆発しちゃいますよね。毎週毎週そんな語ることないっつーの。
あんま重い記事をたまに出すよりは軽めの記事をコンスタントに出すべきなんじゃないかと思っているので、今日みたいに2000ちょい字くらいがちょうどいいのかもしれない。これからも精進してまいります。
2022年もあと24時間。今年もありがとうございました。よいお年を!
*1:厳密には更新ではないのですが、便宜上こう書いています。
春の未だに訪れぬ村を訪れし朧月夜
クリスマス前から正月にかけてのキラキラした街を歩くのが大好きです。皆さんはどんなクリスマスを過ごしますか?こんにちは。
突然ながら、ブログのデザインを一新してみました。
とはいえこれは私一人の力で果たせたものではありません。
ブログのテーマがデフォルトのままだったのが気になったので、ヘッダー部分に大きく写真が使われるのが印象的なテーマに変えたのですが、肝心のヘッダー部分の設定が上手くいかず、ちょうど通話していたサーバーでキレていたところ...
めっちゃ強いオタクたちに力を貸して頂き
やっとのことで上手く配置出来ました。過程でヘッダー画像はキモくなりました。
しかし問題が一つ解決するとまた別の問題が気になるようになってしまいます。
このテーマはデフォルトの状態のまま使うと、トップページにも関わらずここ直近の記事がいくつもフルで開かれた状態になっています。タイトルから過去記事を漁ろうと思っても、強制的に長文と向き合わなければならない仕様なのです。
つまり↓これに辿り着くまでにめっちゃめっちゃめっちゃスクロールしなければなりません。
なんとこちらも聞き入れて頂きました。CSSをいじり、一番下にあったものを無理やり横に持って来て、
細かい調整までやってもらい
やっと完成したものです。本当に本当にありがとうございました。
なお記事一覧とかのあれは横に出てくるようにしたものの、トップページは未だに記事がいくつもフルで展開されている状態。やはりタイトル主体で記事が並んでいるほうが見やすい、ということでトップページにアクセスするとこういう開き方になるようにもしました。
俺のカスの文章力で伝わってるか分かりませんが、マジで本っっっっっっっっっっ当に見やすくなったからね。理想の物に仕上がって愛着湧いてます。
なおタイトル下に書いてある通り、大きめのモニターとか使ってる人はおかしくなるかもしれませんが、気になる方は適当に拡大とかしてください。
さて、今日は12月24日。マヤノトップガンが有馬記念を制してから27年が経ちました。
そして12月20日の話になるのですが、なんと日刊スポーツの一面にマヤノが大きく出ています。27年も前の有馬記念を制覇したことをこんな大々的に扱ってくれるのマジで何?ウマ娘マヤノまでこんな大きく出してくれてもう大好き。すみませんマジで大ニュースなのでこのことから書かせてください。
けさの日刊スポーツ1面です。
— 太田尚樹 日刊スポーツ (@nikkan_ota) 2022年12月19日
入社21年目ですが、ゲームのキャラクターが1面のメイン写真(?)を飾ったのは記憶にありません。
(もし過去にあったら教えてください!)
マリオ、ドラクエ、ポケモンも達成していない〝偉業〟ではないかと…#日刊スポーツ #ウマ娘 #マヤノトップガン pic.twitter.com/H32nXskZDk
日刊スポーツさんゲットしました✌️✨
— 星谷美緒 (@mio_hoshitani) 2022年12月20日
マヤ~~~~~~🥺✈️🧡🧡🧡
マヤがこんなに大きく載ってるのうれしいな、、
ありがとうございます😭✨
みんなもぜひゲットしてねっっ🐴#ウマ娘 pic.twitter.com/Ge0g5tIR2o
無事に講義の間にゲットしました。コンビニの立地が立地だったので、レジ打ちが知っている先輩だったこと以外なんの問題もありません。
なお家に持って帰って来て、じっくり味わおうと思っていたところ、、、
は?
少し目を離した間に、うちの飼い猫がマヤノの顔の辺りでスンスンしています。こいつはオス猫なので偶然とかなわけがないんですよね。というかですね、飼い猫に推しを寝取られた方います?これが令和の寝取りトレンドなん?互いにケモ耳だからって調子乗ってんじゃねえぞ あ?
ムカついたのでこのブログのアイコンにしてやりました。いくら恋のライバルだとはいえ、日本語も喋れない程度じゃ私の相手にもならないことは目に見えていますが(笑)(笑)(笑)
「煩悩の犬は追えども去らず」なんて言いますが、この猫もなかなかマヤノから去ってくれなくて本当に困ります。
明くる晩は聖夜だというのにドロドロの三角関係を失礼しました。やっと本題です。今日の記事では夜は夜でも聖なる夜ではなく、朧月夜に私がとある村で過ごした話をしたいと思います。
春の夜に月がほのかに霞んでいる情景を指す言葉。春の季語。
飯山線の「森宮野原行き」という行き先をご存知ですか?
先日記事にした「足尾行き」「石打行き」同様、終電のみの行き先かつ、夜を明かす難易度の高い駅が終点の列車です。終電だけなのに両方向から設定あるところなんて足尾終まんま。
去年の4月になりますが、この森宮野原終の戸狩野沢温泉始発の方を全区間収録しています。前述の通り全区間を収録するのはなかなか難しい列車でもあり、記事にしてみれば面白いのでは、と思いこの謎タイミングで記事になりました。
まずそもそもの所今回の紀行ですが、横浜を出てまずは豊橋に向かいました。
これが4/4。オタク数人で飯田線を乗り通し、
その後は大糸線の南小谷発の最終である快速信濃大町行きの放送を白馬駅で*1収録。実はこの時にまた別のオタクともエンカしてます。
4/5 翌朝も大糸線のあたりで少しわちゃわちゃした後に中央本線と小海線でオタクの家へ。
4/6 オタクの家を出庫し、小海線を小諸から全区間収録して小淵沢から中央本線と篠ノ井線を下ります。
そして今は長野駅。
2021/4/6 19:50 長野駅
1日1本しか見られない表示です。
まずは戸狩野沢温泉に向かい、この表示の通りそこで森宮野原行きに乗り換えます。
戸狩野沢温泉21:33発 森宮野原行き
あーーーーー乗ってしまいました。もう後には戻れません。
ちなみに乗客は自分のみ。こんな激ヤバ列車を取材出来ていることの喜びを感じると共に、始発駅の時点で乗客が1人もいない列車の終点のヤバさを既に悟って感情がプラマイ0になりました。
ところで車窓からは積もった雪が見えます。進むにつれて雪の量が段々と多くなっていく。ここタイトル回収。そういえば森宮野原駅ってJR駅で一番雪積もったことある駅だったかもしれませんね。
22:11 森宮野原駅
は?思ったより暗いんですけど。終電後の田舎ってのも普通に歩いたことは何度かあるけど、ここまで暗いのは初めてだぞお前。こんな所で一晩明かさなかんの?
なお駅舎は施錠されていました。絶望。
仕方ないので、とりあえず駅を出て隣の横倉駅で一晩を明かすべく歩いてみます。いや、もう駅前の時点で怖いんだって。
暗かったのを分かってほしいのでAviUtlで2秒で作った黒背景を貼ろうと思います。
というのも駅の方から多少漏れる光はあったものの、それでも相当怖すぎて写真撮る余裕がなかったので写真がありません。適当に撮ってなんか変なもん写ってたりしたら怖いし…霊感全くない上に幽霊系全然信じないんですが、そんなんでもそれくらい怖いです。まじで。
ちょっと歩いて国道に出ました。ちょいちょい街灯あってちょい安心だけどあー怖い ほんと怖い 交番あるじゃん えおまわりさんいないの?いよいよ終末感あって終わ…???
交番には電話が置いてありました。警察官不在時に何か起こったら使え的な警察署への直通電話だったのですが、微妙に受話器がずれてる。怖い怖い怖い。別の次元でも怖いのやめて。
終電を取材し終わり夜道を歩いていると「今ここで何か起こって助けを求めても誰も助けてくれないんだろうなあ」とただでさえカスのネガティブ思考に陥ることがあるのに、さすがにこんなん見ちゃったらもう発作起きます。しかも電話の繋がる警察署ってのが飯山なんて...戸狩野沢温泉よりもあっちなんて...しんどい...
ここまで大げさに怖がっているのにも理由があります。いつだか全国の犯罪率を市区町村単位で調べていた際に、ここ森宮野原駅の所在する長野県栄村は1900弱ある自治体の中でも犯罪発生率がなんと9位。(出典)
人口という母数がそもそも少ないことを考慮しても、さすがにこのインパクトはやばい。これくらい人口の少ない村なんて全国には他にもたくさんあるはずなのに。
同じ疑問を抱いた方は少なくないのでしょう。Googleのサジェストもこの通り。
さすがに何事なのかと思い色々調べるも原因は分からず。サジェストはこうなってるし、検索結果も案の定疑問に思ってる人が多いし、Twitterで検索してみても同じような疑問を持ってる人が多いだけで、結局原因が分からない。
めちゃくちゃインターネットの普及しているこの現代で、ここまで疑問が生じてるにも関わらず答えが出てないってどういう事?
この事を肴にTLのオタクたちとも数時間に渡って原因を考えたこともあったのですが、いくつか仮説は立ったのの決定打に欠けてしまい、結局結論は出ませんでした。
件の犯罪発生率のデータとの関係は時系列的にないのですが、犯罪発生率の高さの理由を調べていた際に「栄村大震災」という大地震も知ります。
これはただ大地震なだけではなく、前日に東日本大震災が起こってしまったゆえそちらばかり報道され、支援などを受けられなかったというとてもかわいそうな震災。アンサイクロペディアがめちゃくちゃ真面目な記事を書いているので、そちらもご参照ください。(村HPも貼っておきます)
このような経緯から、前者の犯罪発生率の高さから実はこの村はヤクザかなんかが仕切ってる村*2なんじゃないかと考えちゃうし、後者もその怨霊とかがあるんじゃないかと考えちゃってマジで精神終わりました。
ここに来るまでの飯山線の車内なんかではこんなこと考えないんですよ、実際に来て不気味さを目の当たりにするとこうどんどん悪いことしか考えられなくなっちゃうんですよね。ちなみに夜が明けるまでずっとこの考えに支配されて終わりです。
しばらく国道を歩いているとトンネルが。もーーーーーこのトンネルさあ
この道はそもそもトレーラーやタンクローリーと言った大型車の通行が5分に1台くらいあります。
ただでさえ狭い歩道のすぐ横をそんなんがかすめていくだけでも怖いのに、トンネル内を歩いている際にそれらが通過するとえげつない轟音に襲われるのです。イヤホンなんて全く歯の立たないレベル。追い討ちをかけてくるのやめて…
やっとの思いでトンネルを脱出するも、手元のGoogleMapいわく真っ暗な横道に入れとのこと。さすが米帝の誇る鬼畜企業Googleですね。今まで歩いてきたこの道は街灯あったからまだ耐えてたけど、そのマジで真っ暗なの勘弁してほしい。駅前も暗いは暗かったけどこんな真っ暗じゃなかったのに~
バカ暗い道をしばらく歩くと目的地の横倉駅に到着。駅を出てまず暗さに圧倒され、不気味な交番の前を通り、トンネルでは轟音に襲われ、最後は灯りすらない横道にぶちこまれ...とどんどん恐ろしさがエスカレートしていく鬼畜コースもなんとかゴールです。近くにお墓あるのが怖いけどとりあえずは安心。
そして翌朝4時半ごろ この横倉駅を出てまた森宮野原駅に向かいます。マジでまだ真っ暗じゃんざけんなおい~~~~~
怖いんだって…と心の中でビビり散らかしていたのですが、ここでとても嬉しいことが。
歩いていた道沿いの民家の明かりが点いてんじゃん!!!!!しかも話し声まで聞こえる!!!!!!
こんな朝から朝ごはんを作っていたようです。マジで怖すぎて実はここは現実世界じゃないんじゃないか、とまで考えちゃってたりしたのでこれは嬉しい。しっかり人間が生活を営んでいる世界線にいることを確認出来て一安心。当時はこんなことで安心出来ちゃう精神状態でした、マジで。
その後イヤホン貫通トンネルを抜けると、夜も明けてきたようでなかなか良い感じに。精神的な余裕がだいぶ出来てきたのでこの辺りから写真を撮ってます。ジブリみたいな雰囲気が最高。
しばらく歩き森宮野原駅に到着。
最初の方で言った通り森宮野原終は両方向からあり、どちらもここ森宮野原で夜を明かします。
私が乗ってきたのは奥に止まっている通常塗装の戸狩野沢温泉始発の森宮野原終でしたが、十日町発の森宮野原終のおいこっと塗装が前日のままの表示で眠っており、こちらても森宮野原表示を回収出来てご満悦。
このおいこっと塗装は始発の長岡行きになります。今から収録するのがまさにこの列車です。
飯山線内からの長岡行きは2本だけあり、もう1本は十日町始発となっています。ちょっとだけある足を伸ばす運用大好き人間にはとても刺さる列車です。
そういうオタ的な話はともかく、この時は運転士さんがしっかりと人間で安心してました。暖かいキハ110も最高。乗り込んでしばらく経ち発車です。
こう安心しちゃってる上に…暖かい上に…列車に揺られてると…ついつい…眠く…
十日町あたりで寝て起きたらもう長岡手前。車内めちゃくちゃ混んでてびっくりした。
この後は信越線で新津、磐越西線で会津若松、磐越東線でいわき、常磐線で仙台、仙山線で羽前千歳、奥羽線で横手とまわり横手で宿泊。
翌日の8日は横手から奥羽線で大曲、田沢湖線で盛岡、新幹線でいったん八戸に行ってから北上までワープ。そこからはひたすら東北本線を上っていき、日付が変わる頃に帰宅したと記憶しています。
こんなんでビクビクしてて終電取材向いてないなあってなった。最近こういうムーブをする際はオタクを巻き添えにするなり精進しています。超どうでもいいけど深夜ムーブで一番怖かったのは夜中の思川⇒小山を徒歩した回だったと自分では思ってて、他にもこういう限界ムーブを結構してるのでこういうのだけをまとめる記事を書いてもいいかもしれない。
なお、10年以上前の犯罪発生率が高いから治安が悪い、というのはビビり散らかしていた私の極めて短絡的な発想です。長野県警のHPなどを見ると犯罪発生率がここまで高かったのはこの年だけであり、普段はとてものどかで美しい良い村です。誤解のなきように。
ところであのデータの犯罪発生率がやけに高かったのは野菜泥棒がいたかららしい。だとしても90件以上ってのはすごい数ですね。私がこの事を知ったのはこの取材の半年後とかだったので、得体の知れない恐怖体験を少しでも分かって頂きたく最後に書きました。
では。メリクリ